商  号 株式会社 駒   匠
 
 住  所 〒374-0063 群馬県館林市朝日町16-19
 
 代 表 者 駒形直彦
 
 設  立 平成9年7月14日
 
 事業内容

注文住宅の設計・施工・設計監理

住宅・マンションのリフォーム・店舗の設計・施工・設計監理

温風床暖房システムの開発・設計・施工・販売

家具・建具等のデザイン・製作・販売
 

 資  格

一級建築士事務所 群馬県知事 第2953号

建設業許可 群馬県知事 般‐14 18537号

住宅性能保証制度登録店 登録番号10020235

SE構法・αSE構法登録施工店No034

 
 特  許

空気循環式空調型床暖房システムハウス 特願平09-198058号
床暖房装置及び床暖房方法          特願2005-096085号
 

 商  標 CCFシステムハウス 登録第4240774号
CCF STYLE      登録第4950938号
 商  標 図形)     登録第4230672号


 ロゴマーク



  

     

 略     歴

1960年  9月14日千葉県市川市にて生まれる
1982年  中央工学校建築設計課卒業
1984年  法政大学経済学部卒業
1984年  東京都新宿区に本社を置くハウスメーカーに就職
1984年  二級建築士試験に合格
1988年  年間を通じ全社内で注文住宅の契約棟数、売上額がNo1になる
1989年  ハウスメーカーを退職
1990年  一級建築士試験に合格
1990年  父親が急逝し、父親の経営する土木資材販売会社を引き継ぐ
1997年  建築への想いが捨てられず、土木資材会社を親族に譲り退職
1997年  住宅の設計・施工を目的に葛匠を設立
1998年  第1号のCCFシステムを取入れた住宅を施工
2003年  独自のローコスト床暖房システム(CCFシステム)が群馬県知事に1社1技術として認定される
2004年  群馬県より助成金をいただき、CCFシステム専用のオリジナル機器を開発
2006年  CCFシステムを蓄熱式に改良、オール電化にも対応可能になる
2007年  全国に向けてCCFシステムの販売を開始予定

 

なぜ、建築を志したのか

中学1年の時に両親が家を新築した。自分の部屋をつくってもらえるのが嬉しくて、すごくワクワクした。


自分の希望を大工さんにいっていいと言われたので、かっこいい物入(今で言うクロゼット)にしたいから、押入
れは引戸ではなく、開き戸にしてほしいと伝えた。 すると、両親にも大工さんにも使い勝手が悪いから引戸の
ほうがいいと言われたが、断固として引戸は嫌だと断り、両開きのかっこいい扉をつけてほしいとお願いした。
さらに部屋入口のドアはアーチ型にしてほしいと注文をつけたが、これはあっけなく却下された。


たぶん、そのあたりから『 家 』 とか『 住まい 』 というものに対する憧れというか男のロマンというか、なんとなく
そんなものを感じていたのだと思う。


そして・・・出来上がったマイルームの物入の開き戸は、なるほど使いづらい。1間の物入で扉の大きさがタタミ
1枚分もあるのだから。。。僕の部屋は6畳だったので、机とベットを置くと物入れの扉が開かない。


両親から『 ほれ言わんこっちゃない 』 と怒られた。


そこには思い描いていたかっこいい部屋はなく、使い勝手の悪い物入とガックリ落ち込んだ僕がいた。
こんな筈では・・・・・という思いでいっぱいだった。


この時決心した。自分の家は自分でつくろうと。。。


そんなたわいもない理由だけど、その時から家をつくるということは、住む人の想いを形にしていく仕事なんだと
想うようになった。それが僕の家創りの原点のような気がする。


 

ハウスメーカーに就職して


大学を卒業して木造住宅メーカーに就職した。
先ず思った事は・・・・・建築系の学校を出てきた人たちの配属の第一希望が設計部門だということ。そして、文
系からきた人たちは事務職か営業職しかないということ。僕は建築系(といっても専門学校)だったが、最終的
には文系入社(経済学部卒)だったので設計という道はすでに閉ざされていた。ただ、僕は営業を希望したのだ
が営業希望は僕一人だったのには少し驚いた。


技術系の人達にとって、現場監督は人気がなかった。やっぱり 『 設 計 』 のほうが見た目もひびきもかっこい
いからかなぁ。『 現場監督 』よりも 『 設計』のほうが女性にも持てそうだし。。。そんなことを考えたりしていた。


住宅の営業は思っていたより大変な仕事だった。希望者がいないのがよく理解できた。そして、成績が悪いと
すぐに事務系の仕事に引っ張られていってしまう。同僚でも何人かいたのを覚えている。事務で1日中机に座
ってるんだったら、辞めようと、心に決めて頑張る毎日だった。


さらに、ハウスメーカーで営業職になってから、ビックリした事がある。それは住宅の営業職と言われているにも
かかわらず皆、家の構造や法規のことなどまったく知らないし、知ろうともしない。会社もそんなことは望んでい
ない。要は、販売のプロになってほしいのだ。ただし、最低限の知識だけはおのずと身についていったけれど、彼
らにいい家をつくろうという意識はほとんどなかったように思う。


それよりも『 どうすれば売れるのか? 』 のほうがはるかに大事なのである。 『 いい家 』 を考えるのは設計の仕
事であり、造るのは工事(監督)の仕事だ。すごくあたり前だけど営業には売る能力が求められた。


営業に配属されてすぐに、直属の上司である営業部長の訓辞の中に、『 仕事とはつらいものである 』 と言う一
節があった。この時、なんとなくその言葉に反抗心と違和感を抱いたことを覚えている。辛いことを一生の仕事
にするのは嫌だと思ったからだ。そしてある時、別の上司から営業というのは 『 数字が人格だ 』 といわれたこ
ともある。これはその通りだなぁ・・・と妙に納得してしまった。 そしてこうも言われた。強いやつが勝つのではな
く、勝ったやつが強いのだ・・・と。要は営業である以上、売れないやつは会社にとって必要ない人間なのだ。な
んとも冷たいようだけど、これが営業の世界での現実であった。


はたしてこんな世界で、心の底から 『 いい家 』 をつくりたいなんて思っている人がいるのだろうか? 今はそう
思えるようになったが、その時はどうしたらたくさん売れるかと言うことばかり考えて仕事をしていた。


ただ、『 いい家を創りたい 』 と言う願望は常に持っていたが。。。



ハウスメーカーでの家づくり


ハウスメーカーにとって 『 い い 家 』 とはどんな家だろう? 逆説的に一言で言ってしまえば 『 売れる家 』 で
あり、『 クレームのない家 』だと思う。営業としてはそんな家があったら大喜びだ。ただ、現実的にはハウスメー
カーにそんな家はなかなか存在しない。僕が就職した頃は○ーベルハウスと○水ハイ○が人気があったようで、
着工まで6ヶ月待ちとかお正月休みは12月24日〜とか、うらやましい情報をよく耳にした。でも、そういった工業化
住宅には興味がなかった。


売れるための商品づくり、イメージづくりには各ハウスメーカーは社莫大な費用をかけている。著名な人をCMに
起用したり、展示場を実際に販売するものよりも豪華にして、『 我社はいい家をつくってますよ 』というイメージを
打ち出す。家をつくろうと思った人たちが、ちょっと覗いてみたくなるような仕掛けを随所に仕掛けておくのだ。


言い方は悪いかもしれないが、後は魚が網にかかるのを待つようなもので、かかった魚を営業 ⇒設計 ⇒ 工事
⇒ 引渡し と、連携をとって順番に料理していくだけだ。僕から見たら、なんとも味気ない『 いい家 』 でだった。


そんな家をしばらく売っていると、それがあたり前になってくるから不思議だ。そして、標準装備はこれ、こっち
はオプション、などと設計部や商品企画部があれこれ検討して売れそうな商品を開発する。ここでよく受注する
営業マンはちょくちょく呼ばれ、どんな商品が売れそうなのか意見を言うために開発会議に参加する。僕もよく
参加させてもらった記憶があり、結構えらそうな事を言っていた気がする。今思うとちょっと恥ずかしい。


ハウスメーカーを何社も渡り歩いたわけではないので他社のことは知らないが、おおよそこんな流れでどこの
会社も流れていくのだ。


どうしてそんなことが言えるのかというと、ハウスメーカーは営業社員の入れ替わりが結構多く、何年かすると、
いろいろなハウスメーカーに知り合い、というか元の同僚が出来る。また、そうやってハウスメーカーの営業を渡
り歩く営業のプロがいる事も事実なのだ。そして、彼らはコミッション制(成功報酬型)だから営業能力が抜群な
人も中には存在する。そういった方達と情報交換すると、どこのメーカも同じようなことをやっているという事がよ
く解ってきた。


大手のハウスメーカーは、営業のプロ、いわゆるコミッション制の販売方法では売上が上がってもクレームが
多くなり、結果としてせっかく受注したのにマイナスになることがある事に気付いた。そして新卒の正社員として
の営業体系にシフトして言ったのである。これが成功して業績を上げていったのもまた、事実である。僕の尊敬
する上司でプレハブ大手の○○ハウスの元営業所長がそう言っていた。


僕は大手ではないが、そんな木造ハウスメーカーの新卒営業第一期生だったのだ。売ることが使命の。。。


細かくは書かないが死ぬほど仕事をした。

 


土木資材販売という仕事


そんなハウスメーカーでの激動の営業活動をを約5年間続けた。最終的に営業所を任せてもらったのだが、実
家に帰ろうと思ったのは母が入退院を繰り返していたからかもしれない。昔、大病を患った母は大きな手術を何
回か経験している。僕が学生の時に医者から80%の確立でもうダメですと言われて家族会議を開いたこともあ
る。その時の父の顔は今でも忘れられない。

ハウスメーカーを辞める決心をしたのも、息子として、母のそばに居られるのがあとわずかだと感じたからかも
知れない。


そんなことで両親と何年かぶりに暮らすようになるのだが、あろうことか母ではなく父が急逝してしまった。
前日まで飲み歩いていたのに・・・心筋梗塞だった。


長男だったこともあり、急きょ仕事を継ぐ事になってしまったのだが、土木の世界はまったく知らなかった。
挨拶回りから始めたが、住宅の世界とはまったく勝手が違った。土木資材というのは一般の人はほとんど
購入することが無い。取引先もほぼ固定的で、新規の取引はめったに発生しない。それだけに安定してい
ると言えば安定しているのだろうけど・・・・・である。


直感的にこの仕事には向いてないな、と感じた。親不孝息子である。


あとは母のために・・・との思いで何とか続けてきたが、数年後についに母にも父からのお迎えが来てしま
った。いろいろな意味で仕事に対する気力がなくなっていくのがよく解った。


私的なことも重なり、もう一度、自分の大好きな仕事 『 いい家を創ること 』に掛けてみようと決心するまでに、
それほど時間はかからなかった。


駒匠はここから始まったのだ・・・

                                                             つづく